Release Interview

結成から15年、メジャー1stアルバムリリースを発表したw.o.d.
出会い、ルーツ、初ライブ、上京、楽曲の変遷……秘蔵エピソードも交えながらバンドの軌跡に迫るロングインタビュー

Episode 1:幼馴染でバンド結成 中学時代から上京までを語る

Interviewer:信太卓実(Real Sound)
Photographer:森山将人

まずはKenさんとサイトウさんの出会いの話から伺えたらと思います。お二人は中学校からの同級生ですが、当時はどのように過ごしていましたか。

サイトウタクヤ(以下、サイトウ):外国籍や帰国子女が多い学校にいて。中高6年の一貫校で、そもそも(生徒の)人数が少なかったんですけど、男女の割合的にも男子が少なくて。

Ken Mackay(以下、Ken):1学年80人中、男子は20人くらいしかいなかったよね。

サイトウ:だからなんとなく男子は勝手に集まってました(笑)。

Ken:俺は日本と海外、両方の国籍があるんですけど、外国籍の枠で入って。サイトウさんは一般枠で入ったんですけど、めっちゃ人数少なかったよね。

サイトウ:一般で入った日本人で男子は3〜4人くらいやったね。で、中1、中2でなんとなく遊んでいたメンバーの中でバンドをやろうという話がありました。

サイトウさんから見たKenさんの第一印象は?

サイトウ:背の高いイケメンって感じでした。優しい。そこは変わらずです、本当に。

Kenさんは中学時代、部活とかは何をやっていたんですか。

Ken:いろいろやってました。柔道を小学生からやっていたので、道場に通いつつ野球もやっていて。あとはダンスも5歳から13歳までやっていました。

Kenさんから見たサイトウさんの第一印象は?

Ken:目つきが悪い(笑)。坊主の野球少年だったので。

サイトウ:小学生の頃に少年野球をやってたから、中1の時はまだそんな感じやね(笑)。

Ken:あまり喋らないし、坊主で目が死んでるヤツがいるなと。周りの女子からも怖いとよく言われていて(笑)。思春期だったのかな。

サイトウ:そんなつもりなかったんやけどな。

ちなみにサイトウさんはなぜその学校に決めたんですか?

サイトウ:地元から出たいなと思っていたんですけど、実家から2つぐらい市が離れた学校やったので、そこがよくて。あと6つ上の姉がいて、留学に行って楽しそうにしているのを小学生の頃に見てたので、自分もそういう学校に行ってみたいなと。インターナショナルスクールやったんですけど、一般の日本人枠も設けられていて、作文と面接だけで受験できるようになってたので。

Ken:「羊と戯れたい」みたいに言ってなかったっけ?

サイトウ:そうそう。面接で喋ることが思いつかなくて。姉の留学先がニュージーランドやったんですけど、その話をしたら「ニュージーランドに行ったら何がしたいですか」みたいに聞かれて。ただ「行きたい」としか思ってなかったから、頑張ってひねり出したのが羊のイメージ。「とにかく羊と戯れたいです」みたいな(笑)。

(笑)。それこそKenさんの出身はニュージーランドですよね?

Ken:そうです。出会う前からニュージーランドに興味があったんだね(笑)。

お二人は当時どういう音楽を聴いていたんですか。

Ken:小学校の頃からずっとR&Bとかヒップホップを聴いてましたね。エミネムとか。習ってたダンス教室でも使われたりするし、踊るための音楽をメインで聴いていたから、体に馴染んでいた感じ。今でもそういうビート感のある曲がめっちゃ好きですね。

サイトウ:俺は兄の影響でBUMP OF CHICKENを好きになったのが最初ですね。兄ちゃんが買ったのを見て俺もエレキギターを買って、最初はとにかくBUMP OF CHICKENをめっちゃ練習してました。それから中学の先輩がやっていたGreen Dayとかを聴くようになって。YouTubeとかWikipediaで「これはこういうジャンルで、こういう人に影響を受けて、こういう風に広まっていったんだ」とちょっとずつ知っていって、気になったらTSUTAYAで借りられたし。そうやっていろいろ聴いた上で衝撃だったのが、やっぱりNirvana。すげぇと思って、「Nirvanaみたいなバンドをやりたい」と思っていたかな。

なぜそれだけNirvanaにハマったんだと思います?

サイトウ:なんでやろうなぁ……それこそYouTubeで映像を観ていても、カート(・コバーン)がめちゃくちゃカッコいいのに、なんか汚いじゃないですか(笑)。綺麗じゃない感じのビジュアルが衝撃だったし、曲だけじゃなくて、映像自体もなんか暗い。そもそもカメラの精度の問題なのか、荒い映像が多くて、そういうの全部がしっくりきて。ギターが大好きだったので、メタル的な曲をめっちゃ弾いてたし、パンク系の音楽も好きやったけど、なんかテンションだけは合致しなかったんですよね。そこまで元気になれへんし、自分の気持ちにフィットしているわけではないなと思っていたんですけど、Nirvanaはデカい音でドーンとやってるのに、パンクほど元気ではないじゃないですか。音像や雰囲気も含めて、ダラッとしたバンドがデカい音を出してる感じがすごくしっくりきた。ファッションもなんとなく暗い質感だし、そこにハマった気がします。

お二人がバンドを組んだのは2009年、中3のタイミングだったと思いますが、どんな流れだったんでしょうか。

Ken:先輩が文化祭でバンドやるのを見てたのがきっかけかな。

サイトウ:さっき言ったGreen Dayのカバーをやっていた先輩がいて、その人たちが学園祭でめっちゃカッコいいライブをしていて。ギターをガーッとやって、はちゃめちゃで謹慎食らうみたいな(笑)。中学生やったしそういうのってときめくじゃないですか。それで「バンドやりたい」と思ってたら、先輩たちから「ギター弾いてや」みたいに誘われて、一緒にスタジオ入って練習したり、ライブをやったりとか、俺はちょくちょくしてました。

Ken:それが中2くらいじゃない? 俺がベースを始めたのは中3だから、俺が音楽をやる前からサイトウさんはいろいろバンドやったりしていたイメージ。そしたら今度は同学年でバンド組もうとなって。

サイトウ:「コピバンしたい!」と思ったんですよね。

Ken:最初にやったのは確かGreen Dayで、「American Idiot」を必死に覚えた気がするな。ギター(サイトウ)、ベース(Ken)と、イタリア人のドラマー、日本人のボーカルで4人組やったんですよ。それでコンテストにも出ましたね。

サイトウ:神戸のマージービートっていうライブハウスでね。

Ken:まあ普通に落ちたんですけど(笑)、その直後にサイトウさんから「2人でバンドやろうよ」って連絡が来ました。「え、4人じゃなくて俺と2人!?」って。

サイトウ:オリジナル曲を自分で弾いて、もっと歌いたいなと思ったので、Kenを誘って。ドラマーは探すのが難しいんですよ。練習できる場所が限られてるし、お金払ってスタジオに入ったりとかも中学生やとあまりできないので。だからドラムは打ち込みの音源を流して、その上で2人で演奏して、スリーピースまがいのことをやるっていう。中3から高2の途中ぐらいまでそんな感じで、その後にTomというあだ名の1歳上のドラマーが入って、スリーピースでやり始めました。

ツーピースでドラムレスの頃から、バンド名はw.o.d.でしたっけ?

サイトウ:略す前のwebbing off ducklingですね。カッコいいと思ってつけたら、誰もちゃんと読めへんかった(笑)。Kenと一緒に遊んでて「単語を3つぐらい並べて、見たことないカッコいいバンド名を作ろうぜ!」みたいな話をしてました。

Ken:確か電子辞書を使ってた気がするな。

サイトウ:電子辞書と紙の辞書、全部使ったもん。それでバッと指したら「webbing」が出てきて「何これ、カッコいい!」と思って。何とかつなげて、webbing off ducklingになりました。訳すと“水かきのないアヒル”、“泳げないアヒル”みたいな。何かロックバンドっぽい! って(笑)。

結果的に歌の内容にも合ってる気がします(笑)。“BUMP OF CHICKEN”的な響きの狙いがあるんだと思っていたんですよ。

サイトウ:それも意識してたかもしれないです。単語を3つくらい並べたバンド、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTとかASIAN KUNG-FU GENERATIONとか、カッコいいなと思ってたんで。

では、お待たせしました。元良さんは中学生の頃はどんな少年でしたか。

中島元良(以下、元良):俺はあまり地元が好きじゃなかったんですよね。福岡県なんですけど、いわゆるスクールカーストのだいぶ底の方にいたので、幼稚園、小学校、中学校もあまり好きじゃなかったかな。別に地元が悪かったわけじゃないんですけど、街全体の雰囲気にあまり馴染めなかったというか。

対人関係が苦手だったということでしょうか。

元良:そうですね。でも友達は普通にいました。音楽はまだやっていなかったですけど、中学の時は流行ってるJ-POPをよく聴いていて、今思うとバンドが好きだった気がしますね。ラルク(L’Arc-en-Ciel)かGLAY、どっちが好きかとか聞かれて、俺はGLAYと言ってた気がするけど、まあどっちも好きでした。友達ともよくカラオケに行ってたな。自分が歌える曲を探し続けていた気がします。

楽器はいつから始めましたか?

元良:高2の時かな。中学の時にゲーセンでDrumManiaとかGuitar Heroを友達とやっていて、「高校行ったら軽音楽部に入ろうぜ」みたいなことを言ってたんですよ。でも高校入ったら軽音楽部がなくて、とりあえずバレーボール部に入りました。そうやって1年くらい経った頃に、音楽室からいきなりドラムの音が聞こえてきたことがあって、「うちの学校ドラムあるんじゃん!」って初めて気づいて。バレーは1年でレギュラー取れなかったから辞めちゃって、頑張ってバイトしてお金を貯めて、ようやく高2でドラムの練習パッドを買いました。家で練習してたらうるさいから怒られてたけど(笑)、YAMAHAにも通わせてもらったし、週に1回だけ生ドラムに触れていました。

地元を好きになれない感じはどう発散していたんですか。

元良:たぶん俺、根は明るいんですよね。ずっと周りからいい扱いを受けてこなかったけど、何とかしてこれた気がします。運動神経が悪かったから、スポーツ得意なグループには入れなかったけど、友達はいたし。歌うのが好きだったので、合唱コンクールとかが楽しみでした。あとは図画工作とか、絵を描くのも好きで、運動できない分そういうのをやっていた気がしますね。別に上手ではなかったけど、漫画とかゲームの説明書の絵を模写したり。

バンドを始めたのは?

元良:自分の高校で組んだわけではなくて。ちょっと覚えてないけど、友達の紹介か、楽器屋に貼ってあるメンバー募集だったかでコピーバンドを組んでました。4人だったけど、全員ほぼ初めましてのメンバーだった気がするな。そこでBlink-182の「First Date」をやってたのを覚えてます。あとはGOING STEADY、ACIDMAN、BRAHMAN、Hi-STANDARDあたりですね。

なるほど。ありがとうございます。
webbing off ducklingの方に一旦戻りますが、初ライブはどんな感じでしたか。

サイトウ:初ライブはマージービートだったかな。オリジナル曲と、何曲かコピーを演奏してました。レッチリ(Red Hot Chili Peppers)もよくやったし。

Ken:「Snow (Hey Oh)」を弾きながら歌ってたよね。

サイトウ:そうそう。Nirvanaもやったし。相変わらずドラムは打ち込みでしたね。

Ken:初ライブで「マリー(丸い真理を蹴り上げて、マリー。)」をやった気がする。

サイトウ:確かに。中3の時に作ったはずやな。

w.o.d.の代表曲ですけど、当時からすでにあったんですね。今の形のままですか。

サイトウ:ほぼ今のままです。初ドラマーが入った後にリアレンジして、間奏が長くなったりしましたけど。当時からずっとやってる曲です。

「丸い真理を蹴り上げて、マリー。」がオリジナル曲の第一号でしょうか。。

サイトウ:いや、爽やかな曲も何個かあったはず。「A Day in the Past」とか。曲名ダサいな(笑)。

Ken:「No Answer」とかもね(笑)。

サイトウ:あった(笑)! 「Smells(Like Teen Spirit )※Nirvana 」みたいな曲!

Ken:あと「飛躍衝動」とか(笑)。

サイトウ:めっちゃ恥ずかしいタイトル……(笑)。

元良:何かわからんけど、俺も今めっちゃ恥ずかしい(笑)。

サイトウ:ヤバいね(笑)。レコーディングも自分たちでMTR(マルチトラックレコーダー)を買って、ボタン押して録るみたいなことをやっていた頃でした。「飛躍衝動」は打ち込みのドラムの音を入れて、俺がギターソロを弾き続けてる曲で。

Ken:どこかに音源残ってるのかな。

サイトウ:たぶんあるよ。

いつか聴いてみたいです。その時すでに「マリー」があったことを思うと、明確な表現欲求が音楽制作に直結していたんじゃないかと想像しますけど、いかがでしょうか?。

サイトウ:俺の場合メモ帳をずっと持ち歩いて、常に何か書いたりしていたんですよ。絵とか言葉とか。歌詞もその延長線上という感じ。瞑想というか、ヨガというか、吐き出すことで落ち着いて、スッキリするみたいな感覚。音楽ってそれに近しいものがあると思うし、ライブは「とにかくデカい音を出したい」っていう原始的な欲求を形にしているというか。今もそんなに変わってないですね。

当時のKenさんはどういうプレースタイルでした?

Ken:とにかくベースの入りはレッチリです。YouTubeでべーシストを調べて、最初に出てきたのがフリーで。フリーのソロ集動画を観て、ベースってこんなにカッコいいんだと思いました。

サイトウ:Kenがヒップホップで、俺がロックで。ちょうどその間にいるのがレッチリじゃないですか。フリーから入るっていうのはちょうどよかった気がする。

Ken:最初に買ったベースはフリーのシグネチャーモデルでした。緑とピンクの。

サイトウ:ガチャピン・ムックみたいなヤツ(笑)。

Ken:それをオークションで買って、ずっとレッチリをコピーする日々でしたね。

サイトウ:やっぱりレッチリに受けた影響はデカいよね。コピーもしょっちゅうやってたし。レッチリとNirvanaを掛け合わせたみたいな、90年代っぽいオルタナミクスチャーな感じの曲が多かったですね。

初期の地元のライブで思い出深かったのはどんなことでしょう?

サイトウ:学祭はよく覚えてる。それこそ先輩が演奏してたGreen Dayとかにみんな影響を受けて、そういう曲をやってるバンドも多かったし、日本のバンドのカバーも人気やったんですけど、俺らはオリジナル曲をやろうと言って、学祭のためにインスト曲を作ったんです。俺がブレイクコアとかに染まり出して、ややこしくなり始めてたんですよね(笑)。ブレイクビーツを細かく刻んで、その上でアドリブで演奏するみたいな。しかも音に反応して動く映像まで作って、体育館のステージの背景に映し出して、サイケデリックな絵が動いているところで、2人でガーッとインストを演奏してたら、客席がシーンとなって……ドン引き。友達のバンドが、俺らの後にRADWIMPSのカバーをアコースティック編成でやっていて、めちゃくちゃ盛り上がってました(笑)。

Ken:俺らが先にやってよかったよね。

サイトウ:反動でRADWIMPSのカバーが余計盛り上がってたからね。ややこしい演奏をした後に美しく終わるのがカッコいいと思ってたから、インストの終盤に「Power to the People」のジョン・レノンの声をサンプリングで入れて、最後に〈Power to the People, right on〉を俺が1人で叫ぶっていう(笑)。そんなことをやったら客席はシーンとなったけど、英語の先生だけが「フゥー!」って1人盛り上がってくれて。

なかなか尖ってますね(笑)。
そして時系列は少し飛びますけど、『COMING KOBE』や『SUMMER SONIC』のオーディションの話を伺いたいです。『出れんの!?カミコベ!?』でグランプリを受賞し、『出れんの!?サマソニ!?』でファイナリストに選出されたのが2016年です。

Ken:大学生の頃かな。

サイトウ:そうやね。大学に入ってからもライブとかを引き続きやってたんですけど、最初のドラマーのTomが1つ上だったのもあって、就活が始まって活動できなくなったりして。それでドラマーが2代目のザキさん(オザキリョウ)に変わったんですよね。

Ken:大学の軽音楽部に入ってたんですけど、その先輩。めっちゃドラムが上手かったから誘ったら入ることになって。

サイトウ:オーディションは、そうやってまた活動し始めた後のタイミングだったかな。当時は神戸と尼崎に1日中ずっといても許してくれるスタジオがあったので、そこで練習したり、酒飲んだりして入り浸ってたんですけど、オーディションとかのチラシがいっぱい置いてあったんですよね。ホンマに片っ端から全部見て、応募を書いて音源送って……みたいなことをやり始めたのが、みんなが就活し始めた頃。「俺らは何もやってないし、スーツすら持ってないけど、どうする?」みたいに言ってたよね。

Ken:でも音楽を続けたかったから。

サイトウ:そう、就活は全くしてないです。さいあくバイトしながら音楽やれればいいかなっていう感じだったんですけど、いろいろオーディションに応募しているうちに、「せっかくなら頑張ろう」みたいな気持ちになっていって。

Ken:なんか勝ち進めてたんですよね。

サイトウ:大学生の頃に結成したバンドは周りに結構いたけど、曲を作ってライブをやるっていう経験を積んでる人はそこまで多くなくて。気づかぬうちに演奏力とか曲作りのスキルがついていたんでしょうね。でも中学生の時と変わらないままずっとやっていたから、大学生になってお酒も覚えて、よりめちゃくちゃになってました。オーディションとかに出ると、音楽関係者の皆さんがライブを観に来てくれたり、声をかけてくれたりするんですけど、あらゆるライブで酒を飲んでめちゃくちゃにやっていたので、みんなちょっと引いて帰るみたいな(笑)。

石川さん(次世代ロック研究開発室発起人・石川大氏)との出会いはその頃?

Ken:大さんが俺らのライブを初めて観たのが、『出れんの!?カミコベ!?』の記念ホール(神戸ワールド記念ホール)でやった時。そこからずっと関係があるというか。

サイトウ:声かけてくれて、その後も神戸までライブを観に来てくれたりして。俺らがめっちゃ酒飲んでライブしてるのとかも気に入ってくれた気がする。しかもライブがない日でも「この後神戸に行くから飲みに行こうや!」と言って、神戸牛まで食べさせてもらった。

Ken:「大人すげぇ」と思ったよね。

サイトウ:こんな高い肉を……。

Ken:こんな汚い大学生に(笑)。

サイトウ:声をかけてくれる音楽業界の人がいっぱいいたんですけど、大さんはその中でも一番フランクで、ナチュラルだった。“大人”という感じがあまりしなくて、この人やったら一緒にやっても楽しそうやなと。別に「この人に決めた!」というわけでもなく、「一緒にやりましょうよ〜」みたいな感じで今に至ります。

Ken:居酒屋で契約書を書きました。

サイトウ:「酔っ払う前にこれ書いて」って(笑)。

それは上京前ですよね。

サイトウ:上京する半年前ぐらいかな。

Ken:そのタイミングで、大さんがカッコいいと思うアーティストを呼んで今の事務所(株式会社次世代)を立ち上げる話が出ていて。俺らに第1弾として入ってほしいということだったので「ぜひ」と。

サイトウ:それもときめいたよな。その後ドラマーのザキさんと3人で上京しました。

Episode2へ続く…