Episode 2:ドラマー中島元良加入で現体制に 上京後の交流や歌詞の変化
Interviewer:信太卓実(Real Sound)
Photographer:森山将人
前編では3人の中学時代からサイトウさん、Kenさんの上京直前までの話を伺いました。中編は大学時代の元良さんのお話から伺いたいと思います。
中島元良(以下、元良):地元の小倉を離れて、一人暮らしをしながら福岡大学に入りました。大学でやっていたバンドがいい感じだったから就職しなくていいやと思ってた。上京したきっかけになったのは別のバンドに入ってからでしたね。ちなみに大学は5年通って、追試含めて単位ピッタリで卒業したんですけど、もし追試で1単位でも落としてたら卒業できないっていう夢を、最近もうギリギリ見なくなってきたかな(笑)。
サイトウタクヤ(以下、サイトウ):わかる! トラウマだよね。
Ken Mackay(以下、Ken):俺もめっちゃ夢見るわ。「あぁ、落ちたー!」って。
元良:あれ何だろうね(笑)。寝坊したらマズい講義の時間に、「うわ、もう9時、遅刻!? 終わったわー」と思って目が覚めたら、「あ、俺もういい年だわ……」って気づくみたいな。
サイトウ:俺はずっとフラフラしてたせいで大学の単位を全然取れてなかったので、卒業が半年は確実に延びることになって……卒論まで書いて、結局4年半大学に通って退学しました(苦笑)。(石川)大さんに正直に話したら「お前がそんなヤツだと思わなかった!」ってブチギレられましたけど(笑)。
(笑)。元良さんは上京してからはどのように過ごされてました?
元良:上京してから2〜3年でバンドが解散して、さらに4年ぐらいいろいろなバンドに加入したりサポートしたりしながら、7つぐらい同時にやっていた時期もありました。
元良さんの今のドラムのスタイルはどういうルーツゆえに成り立っているんですか?
元良:自分でもわからないんだよな……これに影響受けたからこうなりました、というものでもない気がする。福岡で入っていたスタジオのおじさんが、俺が個人練習の部屋から出て会計してる時に「お前はこれを観ろ」と言って渡してくれたのがGrand Funk RailroadのDVDで。それを家で観てハマって、「これになりたい」とはずっと思ってましたね。それもドラムを始めてから数年経った時だった気がします。
確かに今の元良さんのスタイルとはまたちょっと違いますよね。
元良:そうですね。とにかくずっと現場にいて、毎日どこかでドラムを叩いてたんですけど、そのバンドで曲を作っている人が一番好きなバンドが何かを教えてもらって、それを好きになるまでずっと聴き込んだりしていたんですよね。それに感動した時の気持ちのまま演奏すると喜んでもらえるから、そういう感じで叩いてました。その音楽に1番フィットするドラムのニュアンスを見つけるために聴き込んでました。
それは今もドラマーとしての信条なんでしょうか。
元良:そんな気がします。お互いの音を聴いていないといい演奏ができないし、逆にいうとそれができてさえいれば、難しいことをやる必要はない気がする。レッチリ(Red Hot Chili Peppers)とかはそれを体現しているなと。難しいことや派手なことって見栄えはいいですけど、そんなことしなくても、ロックってもっと単純なような気がします。それは共通のものに感動することであり、もっと大きく言うと同じ時代を生きて、同じ苦しみを味わうことなのかもしれないですけど。逆に2人(サイトウ、Ken)とは歳が離れているけど、最初に一緒にスタジオに入った時からなんか気が合っていて。
2人との出会いはどんな感じでしたか。
元良:rpm(music bar rpm)という下北沢の老舗のセッションバーで会いました。
サイトウ:(元良くんが)別のバンドでドラムを叩いていて、俺らはw.o.d.として出演してて。対バンで出会ったのが最初かな。
元良:そうだね。rpmは50人入るかどうかってくらい狭くて。スピーカーも小さいよね。
サイトウ:普通ライブハウスだったらドラムにマイクを立てたりするけど、それもなかったから生ドラムで。小さいギター/ベースアンプ、ボーカル用のスピーカーだけ置いてありました。
Ken:またrpmでライブしたいな。
サイトウ:やりたいね!
元良:いいね。いつかやりたい。
w.o.d.側から元良さんに声をかけたんですよね。
Ken:前のドラマー(オザキリョウ)が辞めるタイミングだったので、新しいドラマーを探していて。そしたらちょうど元良くんの生ドラムがめっちゃカッコいいなと思って、ライブの後日、俺からTwitterで連絡しました。今もDM残ってると思うけど。
元良:あるある(笑)。俺もめちゃくちゃカッコいいバンドだと思っていたから、声かけてもらえて夢のようでしたね。いろいろバンドをやっていたけど、「果たして俺はこれからどうなるんだろう……」とも思っていたから。
3人で会ってみて、加入はすんなり決まったんですか。
サイトウ:すんなり決まりましたね。
元良:すんなりだったね。2時間だけスタジオに入って、事前に音源を送ってくれた「スコール」と「Wednesday」を1回ずつぐらい合わせて、あとはお互いの好きな曲をスタジオで流しながら話したりして、そのまま居酒屋に行ったら「入ってください」と言われて、「早っ!」と思って(笑)。俺は嬉しいけど(メンバー加入の決断は)結構大事だから。本当に俺でいいのかなって。
冷静ですね。
元良:それから2カ月ぐらい一緒にサポートでやってから、正式メンバーにならせてもらった感じですね。しかも(サポートとしての)最初のライブはいきなり名古屋3連続で。
サイトウ:そうやったな。サウナに泊まったり、気づいたら車の中で寝てたりしてた。
元良:ハイエースの中とかでね。
最終的にどんな感じで加入したんですか。
サイトウ:俺らはずっと「バンドに入って」と言い続けてて。元良くんはずっとサポートとしてやってくれてたわけですけど、ある日ライブの出番直前にいきなり(小声で)「入ります」って言われて。こっちはもうライブのモードになってたからよくわからなくて、「あ、はい」みたいな(笑)。
元良:「よっしゃー!」みたいになるかと思ったのに、「あ、うぃっす」みたいな感じだった(笑)。
一同:はははは!
元良:恥ずかしい、この話飛ばそうと思ったのに(笑)。
サイトウ:そのまま普通にライブやったよね。
元良:うん。大阪のPangeaだったね。
いい話ですね。元良さんが加入した直後に1stアルバム『webbing off duckling』(2018年9月)がリリースされましたけど、現体制の演奏が音源になったのは2ndアルバム『1994』(2019年9月)収録曲からですよね。『1994』は演奏面でも歌詞の面でも今のw.o.d.にとって大事な作品ではないかと思いますが、初めて3人で作ったアルバムという点ではいかがですか。
サイトウ:「THE CHAIR」を作った時の思い出が強くて。元良くんが入って最初に一緒に作ったので、盛り盛りの曲ですね。ドラムを叩くぞっていう元良くんの気持ちや個性が入った曲な気がする。
元良:あの時は今以上に気合いと根性だけで演奏してた。20分のライブでも汗びしょびしょになって、産毛まで全部逆立たせて終わるみたいな(笑)。俺も「THE CHAIR」を作る時に行ったスタジオとか、サイトウさんが「1994」を持ってきた時に入ってたスタジオのBスタの景色とか、いろいろ思い出してきた。
「セプテンバーシンガーズ」など、1stアルバムにはないゆったりとした温かい楽曲も収録されていますよね。内面をそっと綴るような歌詞もこの時期から増えましたけど、サイトウさんにとってもターニングポイントになる作品だったのではないかと思います。
サイトウ:1stアルバムは中3の時からやってる「マリー(丸い真理を蹴り上げて、マリー。)」も入ってるくらいやから、それまでのベスト盤みたいな感じで、2ndアルバムはもっと“今のw.o.d.を出す”っていう意識で作ったので。あとはタイトルにも関係してるけど、ちょうど令和になるタイミングだったのもあって、平成生まれの自分が生まれてからそれまでのことを考えるきっかけにもなりました。良くも悪くも、(レコーディングを)全部自分らでやっていた中学生の頃のテンションのままだから、ふと振り返ってみると、東京に住んでいる自分とか、スタジオでレコーディングできるようになった自分とかって、なんか不思議やなって。そうやって人生を俯瞰するようになったから、2ndアルバムあたりから単に曲を作るだけじゃなくて、少し大人になったのかもしれないですね。
なるほど。1stアルバム『webbing off duckling』の頃は建前に対して強く中指を立てていて、2ndアルバム『1994』になると変わらない日常、不安や憂鬱の負のスパイラルに対するSOSを鳴らすようになり、3rdアルバム『LIFE IS TOO LONG』(2021年3月)でその感覚が極値に達したような気がしていて。でも、今おっしゃったような“人生を俯瞰すること”にも通じますけど、そうやって繰り返してきた日常の中にこそ愛おしさがあったんだって気づいたのが4thアルバム『感情』(2022年9月)でもあったと思うんです。サイトウさんはご自身の歌詞の変遷ってどう捉えていますか。
サイトウ:やっぱり、非日常に対する憧れや好奇心みたいなものと、日常的なことや安心感を大事にする気持ちって、常に両方あるというか。前はこっち(前者)が大きかったけど、今はより逆の方(後者)が大きくなってきていて。地元にいた頃から1stアルバムを出したあたりまでは、そもそも自分がすごく“守られている”状況に気づけていなかったから、余計にボールを遠くまで投げちゃうし、外側に対して攻撃的になったり、自分のいる環境がおもろくないなと感じてしまう。それが大人になって、だんだん環境が変わっていった時に、“自分には何もないんだ”みたいに思ってしまって。守ってくれていたものがどんどんなくなっていくから、めっちゃ不安にもなる。そういう自分のことを客観的に見て、歌詞に弱さが出てくるようになったのかなと思います。3rdアルバムの頃になると、とにかくもがいてたという感じで。なんかいろいろキツかったよな?
Ken:当時はバイトもめちゃくちゃしてたから。「どれだけ無でバイトできるか」みたいな感じだったね。
サイトウ:でも『LIFE IS TOO LONG』でいろいろ詰まったことで、『感情』の頃になってくると考える時間が増えて、もう1回『1994』みたいに冷静に自分や周りのことを見れるようになったというか。自分は感覚的には何が好きで、何が嫌いで、何がやりたくて、何がやりたくなくて、でも何をやらないといけなくて……とか、そういうことを整理する時間ができたんです。そうなると自然に過去を遡っていって、「子供の頃はこうやったな」とか思い出すんですけど、結局のところ「特別なのは過去だけに限らず、今もそうやな」って冷静に考えられるようになって。全くネガティブな意味ではなく、「明日死んでもいい」と思ってずっと生きているし、その瞬間その瞬間を常に大事にできたらいいなと思うようになったのが、特に『感情』のタイミングやったかなと思います。“あらゆることに良い面も悪い面もある”と受け止めた上で、「これは本来の感覚としては苦手やけど、捉え方によってはいいことにも思えるよな」って考えられるようになった。そうするとあらゆることが全て特別に思えるというか。
めちゃくちゃわかりやすい解説ですね。それ以降の話は最新曲「エンドレス・リピート」のことと合わせて最後に伺いたいのですが、“特別”という意味で言うと、上京してから憧れのバンドや先輩との交流で印象深かったものはありますか。
サイトウ:たくさんあるけど、BUMP OF CHICKENに会えたのは嬉しかった。俺ほぼ何も喋れなかった……。
Ken:あんなに緊張してるサイトウさん見たことないから(笑)。
サイトウ:生きてきた中で一番緊張してました。
Ken:俺は学生時代にSTRAIGHTENERとかナッシングス(Nothing’s Carved In Stone)に憧れていたから、ひなっち(日向秀和)が大好きで。こないだ元良くんとも一緒に山登りました(笑)。
元良:ウインナーまで焼いてもらって(笑)。
Ken:そうそう。憧れの人と山登りするっていう、よくわからない状況だけど(笑)。あと去年はThe BONEZと対バンしたりとか。
サイトウ:JESSEはホンマにJESSEでしかないもんな。なんやろ、あのパワー。
元良:先輩なんだけど、友達のようだし、パワーすごいし。何かあると「JESSEならこういう時どうするかな」って考えたりします。
サイトウ:画面やスピーカーの向こう側にいると思ってた人を生で見ると、どうしても特別視しちゃうし、アニメのキャラクターみたいに思うことがあるけど、やっぱり人間としてめっちゃ繊細やなって思うし、むしろ俺らはそれで安心するというか。「同じ人間がこういう歌を歌ってるんやな」って思うと、俺は元気をもらえることが多いですね。
では同世代のつながりで印象深いものはありますか。
サイトウ:年齢的にも、同世代でずっとバンドを続けてるヤツがどんどん減っていくんですよ。だからこの間CRYAMYと対バンやれた時とか、めっちゃ嬉しかったですね。打ち上げもやったんですけど、ホンマにあの頃のクソガキ状態のまま遊び回れて、めっちゃ楽しかった(笑)。そういう友達がいるとやっぱり元気もらえますね。こいつら頑張ってるから俺らも頑張ろうと思えるし、いてくれるだけで嬉しい。
元良さんは、福岡時代の同期に当たる人はいるんですか。
元良:福岡でHOLIDAYS OF SEVENTEENのボーカル&ギターをやっていた太郎ちゃん(三浦太郎)は今フレンズでギターを弾いているし、BAND Aで一緒だった岡さん(岡愛子)は小山田壮平くんのバンドでギターを弾いていたりするし。
Ken:圧倒的に知り合いが多いですからね。
元良:最近あまり会ってないけど、そういう人たちともまた会いたいな。
サイトウ:もともとバンドをやってたけど今は全然違う仕事をしてる人が、いきなりライブとかで「おはようございます!」って話しかけてくれることもあるよね。
元良:そういうのもある! 昔ツアーでお世話になってた人が、今このバンドのローディやってるんだって現場で知ったりとか。「なんでいるの!?」みたいな。
サイトウ:嬉しいよね。
元良:向こうは俺がバンド続けてることを知ってるから。「言ってよ!」って(笑)。
“バナナジュース屋さん”の噂も聞きましたよ。
サイトウ:そうそう、中高の時ホンマにお世話になった社会科の先生がいるんですけど。背の高い人で、ヤマハ ドラッグスターのバイクに乗って、サングラスタイプのゴーグルをヘルメットにつけて、(両手を高く上げながら)こんな感じでブンブンって登校してきてたんですよ(笑)。タンクもオレンジっぽいアメリカンなやつで。若い先生やったから感覚も近くて喋りやすかったんですけど、教師を辞めてから、バナナジュース屋さんというか、キッチンカーみたいな仕事をやっていたみたいで。こないだ『COMING KOBE24』に出た時、ちょうど同じ日に出店していたので、久しぶりに会えて。
Ken:俺らのポスターまで店に飾ってくれていて、「w.o.d.好きなんですか?」って反応してくれるお客さんも多いらしくて。
サイトウ:話止まらんかったもんな、ずっと。嬉しかったね。
Episode3へ続く…